目まぐるしく移り行く時代の流れの中に、今もひっそりと『銭湯』が健在している。
 男湯と女湯に分かれたその暖簾をくぐり抜けると、そこには“番台”があり、
 優しげな“おばちゃん”が座っている。眼には広い脱衣所と浴槽が映り、
 白く煙った湯気の向こうの壁には、富士山の絵が描かれている。
 耳には老若男女の話し声が響き、
 湯船のお湯が流れる音と甲高い桶の音がコダマしている。

  そう、1970年以前までは、銭湯に通う時間が問題であった。
 当時は家庭に「内風呂」があっても銭湯でご近所さんとの会話を楽しみにしてくるお客も多く、
 入浴したいと思う時間が一緒であるために、脱衣籠の空きも無いほどの盛況ぶりであった。
 空いてる籠を探すことさえ手惑うほどで、
 やっと洋服を脱ぎ捨てて中に入ってからも、洗う場所さえも無いような状態で、
 素っ裸で洗面具を持ったまま仁王立ちしていると、
 「おい、ここイイぞっ。」と知らない“おにいちゃん”が教えてくれたものである。

  歌の歌詞の内容は全く違うのだが、
 その当時に“ムッシュ”こと「かまやつひろし」が歌っていた
 『我が良き友よ』の「下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶらさげて…」という
 最初のフレーズを聞くと、知らない“おにいちゃん”が下駄を履いて銭湯に来る情景を思い出し、
 「南こうせつとかぐや姫」の
 「一緒に出ようねって言ったのに いつも私が待たされた…」の『神田川』を聞くと、
 銭湯でのその風景と風情を実感させられたものだった。

  1970年に放送された『時間ですよ』というテレビ番組を覚えているだろうか。
 森光子が主演し、境正章が「おかみさぁ〜ん、時間ですよぉ〜」と叫び、
 屋根の上に座ったマドンナ役の浅田美代子が「あの子はどこの子 こんな夕暮れ…」と歌う
 『赤い風船』が大ヒットを遂げた番組である。
 女湯の出てくるシーンにドキドキとして、おかみさんとご近所さんとの掛け合いが面白く、
 様々な人間模様が交差する銭湯を舞台にした大好きな番組であった。

  見知らぬ客と裸を共有し、その裸で付き合う場所であったはずの銭湯。
 それが今ではどうだろう。
 アパートやマンションにも必ず「内風呂」が在り、
 ご近所に銭湯が在っても家庭のお風呂にしか入らない。
 仮にそれが壊れた場合でも、
 お客は郊外に建設されたレジャーランドというべき温泉センターに
 車で30分以上も掛けて行くが、
 「銭湯なんて…」とご近所との裸の付き合いはしようとしないのである。

  温泉には行ったことはあるが、銭湯へは行かないという人もいて、
 最近では、小学校時代の修学旅行で皆と入ったお風呂が
 「初めての経験」だという子供も少なくは無く、
 パンツを脱がずにそのまま湯船に入る子供も珍しい光景ではないのである。
 「内風呂」が普及し、独りで入る浴槽に慣れているセイか、
 掛け湯もせずにドボンと入り、シャワーもお湯も使い放題で周り中に撒き散らす。
 その習慣が共同浴場を嫌って、常識の無い青少年へと成長し、
 注意されるとスグに「キレル」。
 マナーは常識に成らず、ルール無用の自己中心的な考えで大人になっていく。

  銭湯では、年配の“おじちゃん”達の背中を洗ったり、
 湯船に入る前にはちゃんと股を洗い、
 近所の誰がどーしたの、こーしたのって語り合ってた情景も、
 今ではそこには無いのである。
 今の時代はもうすでに、銭湯を必要とはしていないのだろうか?。

  銭湯の歴史は古く、江戸時代から庶民の“いこいの場”として栄え、
 第2次大戦終戦後は生活衛生上欠くことのできない施設、
 又は公共性の高い施設として、幼児から大人に至るまで、
 上下の区別の無い親しみの場所として今日まで存在しているのだが、
 現在、熊本県内の公衆浴場は57軒、
 熊本市内では27軒の銭湯しか残っていないのが事実である。

  銭湯は、毎日の洗顔や歯磨きと同様に、「体を洗う」といった生活の一部であり、
 温泉や温泉センターのようなレジャー的要素はほとんど無いだろう。
 しかし、銭湯は、ご近所の人との着飾らない裸の付き合いや情報の収集、
 マナー、エチケットなどが自然と身に付く場所なのである。
 風呂上がりの一本のコーヒー牛乳が楽しみだったり、天井の高さや広さが好きだったり、
 人それぞれの好みは様々であるが、人と人を繋ぐ空間こそが銭湯の魅力であり、
 裸による付き合いで生まれる特別な人間関係みたいなものが
 銭湯の良さとも言えるのではないだろうか。

  今では、脱衣所や浴槽はひっそりと静まり返り、人が話す声や桶の音も響かずに、
 ただお湯が流れる音だけが耳に空しく聞こえてくる。
 番台に座る“おばちゃん”も哀しげな表情で微笑みも無く、
 じっとテレビを観ているだけなのである。
 日本の文化を支え、生活の一部として成り立ってきた「銭湯」の灯火が
 年々と数少なくなっていくのを、このまま無視していても良いものだろうか。

  つい先日も、27軒中の「吉田湯」という銭湯が暖簾を下ろし、
 26軒になったばかりであるが、
 わたしは、銭湯の良さをもっと多くの人に知ってもらいたいと思う
 今日この頃である。